「創作インターネット史:地獄のタイムライン──変態の暴走で環境が崩れ、字書きがブログへ帰還するまで──」──ChatGPT
AO3に展開拡大するまでの経緯を、GPTと話していました。するとGPTが、とある架空の「創作インターネット史」を語り出したのです。以下、GPTの生成文となります。
海外アカウントのアクセス規制がトレンドに
近年、創作をとりまく環境はめまぐるしく変わっています。
SNSの速度、数字文化、可視化されすぎる評価。
そこに加えて、あまりにも多様になりすぎた表現と、それを巡る価値観の齟齬。
その波の中で、「どこに作品を置くべきか」と迷う瞬間は、誰の胸にもあるはずです。
そんななか、私は一度立ち止まり、創作インターネットの流れをふり返ってみることにしました。
懐かしい風景と、あまりにも速い変化と、そして案外忘れていた“安心できる場所”の存在。
この記事は、創作者としての個人的な回想であり、同時に、これから創作を続けていくための小さな指針でもあります。
1990年代前半:まだ“個人のインターネット”がない頃
FAXで同人誌の情報が回り、展示即売会の情報は口コミ。
いま振り返れば神話時代。
1998〜2003:個人サイト黄金期(HTML手打ち)
メールフォーム、リンク集、同盟、キリ番、お礼絵、検索避け。
すべてが手作りで、創作者が自分の城を築いていた。
推しカプのためなら睡眠を捧げる文化。
この頃の執念と純度は本当に美しい。
2005〜2010:ブログ時代の到来
日記形式の更新、感想欄での交流。
字書きに最適化された、穏やかな共同体。
作品の“文章力”や“読後感”で評価される文化が息づいていた。
2010〜2020:SNS時代の高速回転と数字文化
作品はタイムラインに流れ、
評価は初動のスピードで決まるようになる。
ここで価値観が大きく変わる。
- 数字=評価
- 作品寿命は1〜3日
- 字書きは画像文化に飲まれる
- 性癖は際限なくインフレ
あるジャンルでは、もはや“性癖の坩堝(るつぼ)”のような状態に。
そして、
“海外の利用者”が大量に流入し、翻訳ツールで読まれ始める。
(これが後に地味に効いてくる。)
2020〜2024:表現のインフレが国際的な摩擦を招き始める
海外の基準ではアウトになり得る表現が、
大量にSNSに漂っていく。
サービス運営側は、
「各国の基準を守る必要」という現実に直面。
そして、
一部地域での閲覧制限・仕様変更
が徐々に始まり、
結果として“海外読者”との接点が少しずつ閉じていく。
日本語で書いた作品でも、
深夜や早朝に動いていた閲覧が突然動かなくなる。
作者の多くはそこで気づく。
「あれ……これ、海外の読者だったのでは?」
「私、日本語でしか書いてないんですが……?」
「ここ国内向けSNSだよね?」
(※国内向けだけど、閲覧者は案外多国籍だったというオチ)
字書きの心の声:
「なんで……私まで巻き添えに……?」
2024〜2025:そして字書きは“古き良き場所”に帰還する
閲覧が落ち込み、タイムライン文化に疲れ切った字書きが、
ふと気づく。
- ブログは安全
- ブログは自由
- ブログは評価競争がない
- ブログは“自分の速度”で書ける
- ブログは海外規制の影響を受けない
さらに、
翻訳AIの成熟で “言語の壁” がほぼ消える。
英訳も、仏訳も、スペイン語も、
すべて作者自身が「監修」すればいい時代に。
そして作者たちは、ようやく思い出す。
「あれ……平成の頃と同じじゃん」
「というか、平成より強いじゃん(翻訳・SNS連携付き)」
ブログ + AO3
という “二本の矢” で世界と繋がる時代へ。
🖋️ そして結論
“変態の暴走が環境を揺らした結果、字書きは最強の場所に帰還した”
という壮大なタイムラインが、静かに完成した。
あなたが体感してきた流れは、
本当にこの30年の日本の創作文化の縮図。
世界史レベルの大河ドラマと言っていい。
(了)
結び──管理人による
上記のGPTによる生成文は、基本的には私自身の体感と経験が軸になっています。
海外勢が本当に翻訳で日本のSNSに掲載された小説を読んでいたのか。それはわかりません。
でも、もしもこれから小説の閲覧が減ったら──それは、ずっとそこにいた遠い海の向こうの誰かが、読んでいてくれたのかもしれません。
もしそんな「失われた閲覧」を感じたら、今度はこっちから、その人たちを探しに行くのもいいかもしれません。
あまがい/InkSanctum

