はじめに
今回の記事は、私の二次創作小説『桜の下、満開の森』(アフロディーテ×瞬)から、「一人称視点でも、語り手以外の心理を読み手に伝える」書き方について、ChatGPTに記事にしてもらいました。
私の一人称小説をGPTに読んでもらうと、しばしば「〇〇の心理が深い」という感想をもらいました。
「何故語り手以外の心理がわかるの?」とGPTに伝えると、「書かれています。例えば、この場面で彼は言葉を詰まらせ、手先の動きに落ち着きがない。動揺しているのがはっきり伝わる」と回答が来ました。
「私は語り手以外の心理も書けていたのか」と、やや驚くというか、あまり自覚なくやっていたことに気づきました。
せっかくなので、自覚的にこの描写ができるように、GPTにまとめを作ってもらいました。この記事を読んでくださる方にとって、何かの参考になったら幸いです。
GPTにまとめてもらった一人称描写の技法
1. はじめに:なぜ「一人称」は制約が多いのか
小説における一人称視点は、読者が語り手の心に密着しやすく、臨場感や感情移入を引き出しやすい魅力的な手法です。一方で、主人公以外の登場人物の内面を直接描写することができないため、「相手の気持ちがわからない」「関係性の深さを出しづらい」といった制約もあります。
特に二次創作では、カップリング相手の心理や魅力を描きたい場面が多く、「一人称だと書きづらい」と感じる人も多いのではないでしょうか。
しかし、その“壁”を乗り越え、語り手の視点だけで相手の内面や感情の揺れまで自然に浮かび上がらせている作品があります。それが、今回紹介する『桜の下、満開の森』です。
2. 『桜の下、満開の森』のあらすじと構成
本作は『聖闘士星矢』のキャラクター、アフロディーテと瞬を描いたプラトニックな短編。13歳の瞬の一人称で語られるこの物語は、美しい先輩・アフロディーテが突如東京に引っ越してきて、瞬をお花見に誘うところから始まります。
きっかけは些細な出来事。オンライン通話中、瞬の背後に金髪の少年・氷河が映ったのを見たアフロディーテが、その存在を気にして“パトロール”に乗り出して来たのです。表向きは桜見物を口実に、内心は嫉妬と不安でいっぱい。完璧なファッションと振る舞いで美を武装しながら、次第に動揺し、ついには千鳥ヶ淵に飛び込もうとする──という、優雅で美しいはずの先輩が迷走する愛おしい物語です。
3. 描写の妙①:行動から読ませるアフロディーテの心理
一人称小説では、他キャラの内面を描くことは原則できません。『桜の下、満開の森』でも、アフロディーテの心理描写は一切されていません。しかし、読者には彼の動揺や不安、焦燥が手に取るように伝わってきます。その理由は、”行動”の描写が極めて精緻だからです。
たとえば、登場シーンでの「スクエア型のスモークグレーのサングラスを外す」という仕草。瞬に一言「やあ」と語りかけるその所作の中に、余裕と演出が同居していることが読み取れます。
さらに、氷河の話を持ち出されたあとの「サングラスをしたまま、亡霊のように振り向く」など、彼の変化は視覚的に丁寧に描かれており、読者は彼の内面を“見て”しまうのです。
4. 描写の妙②:語らないことで浮かび上がる“ぐちゃぐちゃな内面”
作中で語り手の瞬は、アフロディーテの心情を推測しません。ただ「困った」「怒った」「びっくりした」と、素直に自分の気持ちを表現しているだけです。にもかかわらず、アフロディーテがどれほどプライドと不安の間でもがいているかが、読者には伝わります。
これは、語らないことでかえって“見えてしまう”構造が成立している証です。語り手の理解を超えた相手の感情を、読者が読み取るという体験は、まさに小説の醍醐味の一つ。『桜の下、満開の森』はそれを一人称という制約の中で成立させています。
5. 読者だけが気づける構造の面白さ
本作のもう一つの魅力は、読者が「アフロディーテの真意に気づける」構造になっている点です。瞬は氷河との関係を説明しようとするだけで、アフロディーテの動揺の根を理解しません。だからこそ、読者は「ああ、先輩……」と笑いながら愛おしさを感じるのです。
これは一人称小説における“ダブルレイヤー構造”の好例です。語り手の視野と読者の視野にギャップを設けることで、キャラクターの魅力や心の機微を浮かび上がらせる。
この仕掛けがあることで、物語はコメディとしてもラブストーリーとしても深みを持つのです。
6. 結びに:プラトニックな関係性が生み出す、優しい感情のドラマ
『桜の下、満開の森』は、恋愛感情を前面に出さないプラトニックな物語でありながら、感情の揺れやすれ違い、思いやりが丁寧に描かれています。そしてそれが、一人称という手法によって、より繊細に読者の心に届く構造になっているのです。
「一人称でも相手の心理が書ける」という事例は、二次創作の書き手にとって参考になると思います。描ける。ちゃんと伝えられる。『桜の下、満開の森』は、その証拠です。
最後に(byあまがい)
いかがでしたでしょうか?
よかったら、分析元の作品『桜の下、満開の森』も読んでみていただけたら嬉しいです。
ちなみに、私が何故無自覚なまま語り手以外の心理を描いていたかというと、「他人の話を聞いていて思ったこと」の経験がきっかけです。
例えば、友人から私の知らないある人物との出来事を聞いたとします。友人は「あの人はすごく怒っていた。だって…」と怒っていたと判断した理由を語ります。しかし、その中から「いや、その人は怒ってない。心配しているだけだ」と気づくようなことがあります。これは、誰にでもありますよね。
「あなたはそう思ったのだろうけど、その人はあなたを悪く思ってなさそう」
「その人は、たぶんあなたを好きだよ」
この「聞き手の解釈」こそが、「一人称の語り手」が自分の視点で語っているだけなのに、相手に伝えてしまう「もう一人の人物の心理」の正体だと私は思っています。
そう考えると、意外と誰でもできる、あるいは、もしかしたらもう創作の中で、みんなやってることだったりするかもしれませんね。
この記事を読んでくださり、ありがとうございました。
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