なぜ私はミアルバを「救済」ではなく「価値観衝突」として書くのか
ミアルバ論です。
なぜ私はこのCP(ミーノス×アルバフィカ)が好きで、しつこく書いているのか。
結論から言えば、
「価値衝突」と、その後の「相互影響関係」の発生が面白いからです。
さらに言えば、この構造はヘテロ恋愛的な枠組みで考えても、かなり好ましいものだと思っています。
なぜミーノスなのか──救済ではなく、価値観衝突としてのミアルバ
ミーノス×アルバフィカ、いわゆるミアルバという組み合わせについて考えていると、いつも思うことがある。
なぜミーノスなのか。
アルバフィカは、美しい。
それも、ただ整った顔立ちという意味ではなく、孤独、毒、誇り、献身、触れられなさ、そういった要素をすべて含んだ美しさを持つ魅力的なキャラクターだと思う。
だからこそ、アルバフィカを誰かが優しく包み込む話も、当然似合う。
傷ついてきた彼を救う相手。
孤独だった彼に寄り添う相手。
「つらかったね」と言ってくれる相手。
そういう物語が魅力的なのはわかる。
けれど、私がミアルバに惹かれる理由は、そこではない。
ミーノスは、アルバフィカを甘やかして救済する王子様ではない。
むしろ、彼はアルバフィカの価値観を揺さぶる存在だ。
本人が触れられたくない部分を見てしまう。
本人が否定してきたものを、別の言語で読み替えてしまう。
その読み替えが不愉快なのに、完全な誤読ではない。
だからこそ、アルバフィカは怒る。
反発する。
自分の意味を奪い返そうとする。
そしてその時、アルバフィカの魅力は、ただ「美しく傷ついた人」としてではなく、もっと強く立ち上がる。
私にとってミアルバとは、そういうカップリングである。
Monster × Angel というわかりやすさ
ミアルバは、見た目の対比だけで言えば、かなりわかりやすい。
ミーノスは怪物的である。
支配、操り、冥界、猛禽、黒い翼、冷酷さ。
アルバフィカは天使的である。
薔薇、毒を抱えた清らかさ、孤独、献身、触れられない美しさ。
この二人を並べると、いわゆる Monster × Angel 型の魅力が立ち上がる。
怪物が天使に惹かれる。
天使が怪物に傷つけられる。
この構図は刺激的だし、絵になる。
一瞬で伝わる強さがある。
ただ、そこだけで消費してしまうと、少し物足りない。
ミーノスがただの「悪い男」になり、アルバフィカがただの「傷つけられる美しい存在」になってしまうからだ。
私は、ミーノスを単なる怪物として書きたいわけではない。
アルバフィカを単なる天使として書きたいわけでもない。
私が見たいのは、怪物と天使が並ぶ絵ではなく、
怪物の論理と、天使の論理がぶつかる瞬間である。
ミーノスは、アルバフィカの美しさを、支配、価値、欲望、権力の言葉で読む。
アルバフィカは、ミーノスの冷酷な合理性に、痛み、誇り、献身、抵抗の現実を突きつける。
その結果、二人とも変わる。
ミーノスは、アルバフィカをただ支配できる相手としては見られなくなる。
アルバフィカは、ミーノスをただ倒すべき敵としては見られなくなる。
この相互作用が、私にとってのミアルバの面白さだ。
アルバフィカの「美貌を顧みない美貌」
アルバフィカというキャラクターの人気を考える時、やはり「美」は避けて通れない。
ただし、アルバフィカの美しさは、単に「顔がきれい」という話ではない。
むしろ大きいのは、
美しいのに、その美を顧みないこと
だと思う。
アルバフィカ自身は、表層的な外見の美しさだけを褒められることを好まない。
むしろ嫌悪している。
それは、自分の本質を見られていないように感じるからだ。
彼にとって大切なのは、外見ではなく、戦士としての誇りであり、孤独を抱えてなお他者を守ろうとする意志であり、毒の血を持ちながらも人を傷つけまいとする倫理である。
だからこそ、ファンはこう思う。
「こんなに美しいのに、美しさに甘えないところがいい」
けれど、ここにはひとつの矛盾がある。
アルバフィカ本人は、美貌だけで見られることを嫌がる。
しかしファンは、その「美貌だけで見られることを拒む美貌」に惹かれている。
つまり、アルバフィカの美しさは、外見だけで成立しているのではない。
外見の美しさを拒む態度まで含めて、アルバフィカの美の神話は完成している。
これは、とても残酷で、とても魅力的な構造だと思う。
本人が「そこではない」と言えば言うほど、見る側は「そこがいい」と感じてしまう。
美を拒むことが、さらに美を強めてしまう。
この構造を、もっとも冷酷に、もっとも正確に見抜ける相手が、私にとってはミーノスなのである。
ミーノスはアルバフィカの美を暴く
ミーノスは、アルバフィカを見て、ただ「美しい」と言うだけの男ではない。
彼とアルバフィカの美しさの関係は、もっと複雑だ。
ミーノスはLCの対戦において、アルバフィカの美貌を褒めそやしながら、同時に激しく侮辱していた。
敵の美しさとは、ミーノスにとって「弱さ」だった。
しまいには「美しいきみがそれ以上 血と泥に塗れるのは 見るに忍びない」と言い出して「見逃して差し上げます」とまで言う。
「きれいなだけなら無価値」とでも言うように。
最悪である。
しかし、ここが重要なのだと思う。
ミーノスは、アルバフィカの美を愛でるだけではなく、
その美がどのように成立し、どのように人を惹きつけ、どのように価値を持つのか
まできっと見てしまう。
彼は、神聖さを神聖なまま崇拝しない。
その神聖さが生産される構造、流通する構造、人を支配する構造まで見てしまう。
だからこそ、アルバフィカは彼を嫌悪できる。
そして同時に、無視できない。
ミーノスの視線は乱暴だ。
優しくない。
場合によっては、かなり侮辱的ですらある。
けれど、その視線は浅くない。
ここが、ミーノスを恋愛相手として面白くしている。
彼は、アルバフィカの傷を慰めるためにいるのではない。
アルバフィカの傷が、どのように美へ変わってしまうのかを見てしまう。
それは残酷だ。
けれど、その残酷さによって、アルバフィカは「守られる美しい人」ではなく、
自分の意味を自分で奪い返す人
として立ち上がる。
「The Devil Wears Royal Oak」で見えたもの
この構造は、最近書いた現代マンハッタンAU短編 (ヘテロ恋愛設定)「The Devil Wears Royal Oak」 で、かなりわかりやすく出たように思う。
この短編では、アルバフィカ嬢は香水開発者である。
仲間たちと作った香水「クリムゾンローズ」を世に出すため、投資会社グリフォン・キャピタルのCEOであるミーノスと関わることになる。
アルバフィカ嬢にとって、その香水は人を癒し、寄り添うものだった。
薔薇の美しさと香りによって、人の心を支えるものだった。
しかしミーノスは、それをまったく別の言語で読み替える。
彼は、香水を「癒し」ではなく、「誰もが憧れる選ばれた存在の香り」として売り出そうとする。
しかも、アルバフィカ嬢自身を広告の顔にしようとする。
生まれながらに美しい。
けれど、その美に甘えない。
知性を磨き、努力し、働き、夢を形にした。
その強さと美しさこそが、この香水の物語である。
広告としては、非常に強い。
そして、アルバフィカ嬢にとっては屈辱である。
なぜなら、自分が外見だけではないと証明するために積み上げてきた努力までもが、結局は「美しい物語」として商品化されてしまうからだ。
自分の抵抗すら、ブランド価値になる。
自分の傷すら、広告コピーになる。
「美貌に甘えなかったこと」までもが、美貌の商品価値を高める材料になる。
ミーノスは、その構造を知っている。
だから腹が立つ。
だからこそ、ミーノスなのである。
商品化される自己と、それでも残る本質
ただし、この短編は、アルバフィカ嬢が一方的に商品化されて終わる話ではない。
撮影の場面で、アルバフィカ嬢はミーノスの広告戦略からわずかに逸脱する。
彼女は、ただ「強く美しい広告塔」として立つのではなく、自分自身が香水に支えられてきた痛みや孤独を、その表情に込める。
そこで、クリムゾンローズの意味が変わる。
ミーノスの企画では、それは「選ばれた存在の香り」だった。
けれどアルバフィカ嬢の即興によって、それは「傷つきながらも立ち上がる人の香り」になる。
つまり彼女は、ミーノスが作った広告装置の中で、自分の真実を差し込む。
これは完全な勝利ではない。
香水は高価格帯で売れる。
ブランドは高級化していく。
本来、もっと多くの人に届けたかったものが、手の届きにくい商品になっていく。
けれど、その中でも届くものがある。
「この香水のおかげで戦い抜けた」
「一人でも、もう寂しくない。アルバフィカも戦っているから」
そういう声が届く。
ここに、この話の苦みがある。
市場に乗らなければ届かない。
市場に乗ると変質する。
けれど、その変質の中に、自分の本質を差し込むことはできる。
これは、創作をしている人間にとっても切実な問題だと思う。
作品を届けるには、場に出さなければならない。
しかし場に出せば、作品は意図とは違う文脈で見られる。
数字になり、反応になり、タグになり、商品になり、宣伝文句になる。
それでも、そこに自分の本質を残せるか。
「The Devil Wears Royal Oak」は、ふざけたタイトルの現代AUでありながら、その問題にも触れてしまった短編だった。
ロイヤルオーク、恐ろしい時計である。
ヘテロ現代AUとして見た時の現代性
この短編は、女性化アルバフィカによるヘテロミアルバでもある。
そのため、BL的なミアルバとは少し違う問題が前面に出てくる。
女性の美貌。
キャリア。
接客労働。
感情労働。
資本側の男性。
商品化される自己。
美しさを拒んでも、美しさとして消費される現実。
アルバフィカ嬢は、美貌だけで評価されたくない。
しかしミーノスは、その美貌を拒む態度まで含めて、彼女の価値として見てしまう。
これは、かなり現代的な恋愛の問題だと思う。
相手に見られることは、快楽でもある。
けれど同時に、暴力でもある。
自分でも見たくなかった自分を、相手に見られてしまう。
その視線が、理解なのか、支配なのか、愛なのか、商品化なのか、簡単には分けられない。
ミーノスは、アルバフィカ嬢を甘く肯定する男ではない。
彼は彼女を見抜く。
しかしその見抜き方は優しくない。
だからアルバフィカ嬢は、彼に見出されたから幸せになるわけではない。
むしろ、彼に見出されたことで傷つき、怒り、自分の物語を奪い返す。
そのうえで、なお彼という存在が残ってしまう。
この関係は、古いシンデレラ型の恋愛ではない。
成功した男が美しい女を見初める話でもない。
むしろ、
成功した男が、美しい女を商品価値として読み解いたつもりで、逆に自分の価値観の限界を突きつけられる話
である。
そして、
美しい女が、男に救済されるのではなく、自分の意味を譲らないまま恋愛の可能性を残す話
でもある。
ここに、現代ヘテロ恋愛としての面白さがあると思う。
ミーノスによって、アルバフィカはより立ち上がる
ミーノスは、アルバフィカを安全な場所に避難させる相手ではない。
むしろ、彼はアルバフィカを追い詰める。
怒らせる。
反発させる。
自分の価値観を守らせる。
だからこそ、アルバフィカは立つ。
優しく包まれたアルバフィカは、傷を癒されるかもしれない。
しかしミーノス相手のアルバフィカは、傷を抱えたまま、自分の意味を取り戻そうとする。
そこに、私の見たいアルバフィカがいる。
美しい。
しかし、美しいだけではない。
傷ついている。
しかし、傷ついたまま終わらない。
怒る。
拒む。
言い返す。
奪われた物語を奪い返す。
ミーノスは、そんなアルバフィカの魅力を最大化する。
もちろん、これは穏やかな関係ではない。
甘やかな救済でもない。
けれど、だからこそ面白い。
ミーノスはアルバフィカを「綺麗なまま守る」のではなく、
アルバフィカが自分の足で立つ瞬間を引き出してしまう。
それが、私にとってのミアルバの大きな魅力である。
(と言いつつ、甘い話もまた好きなので困ったもの)
アルバフィカによって、ミーノスも変わる
そして、相互作用は一方通行ではない。
ミーノスがアルバフィカの魅力を引き出すように、アルバフィカもまた、ミーノスの魅力を引き出す。
ミーノスは本来、相手を見抜き、分類し、価値化し、掌握する側の人物である。
支配の論理に長けている。
相手を自分の計画の中に組み込むことに慣れている。
しかしアルバフィカは、その計画からこぼれる。
ミーノスがどれほど正確に読んだつもりでも、アルバフィカは必ず、そこから少しずれる。
「それは私じゃない」と言う。
ミーノスの用意した物語の中で、自分の真実を差し込む。
その瞬間、ミーノスは、自分の計算を超える美に出会う。
支配できる美ではない。
所有できる美でもない。
理解したと思った瞬間に、別の香りを放つ美である。
だからミーノスは、アルバフィカに執着する。
アルバフィカは、ミーノスを浄化するためにいるのではない。
ミーノスの支配や合理の論理では掴めないものを、彼に突きつけるためにいる。
そしてミーノスは、その掴めなさによって初めて、ただの支配者ではいられなくなる。
これもまた、ミアルバの面白さだと思う。
救済ではなく、相互最大化
結局、私がミアルバで書きたいのは、救済だけではない。
もちろん、救済が嫌いなわけではない。
アルバフィカが救われる話も好きだし、ミーノスが変わる話も好きだ。
けれど、私にとってより重要なのは、
二人が互いの魅力を最大化すること
である。
ミーノスがいることで、アルバフィカはより強く、より誇り高く、より美しく立つ。
アルバフィカがいることで、ミーノスはより危うく、より執着深く、より人間的な輪郭を持つ。
この二人は、ただ寄り添うだけではない。
互いの価値観を揺さぶる。
互いの論理を変質させる。
互いの美しさを、より濃くしてしまう。
それが、私にとってのミアルバである。
Monster × Angel の刺激は、確かにある。
しかし私は、それを単なる消費で終わらせたくない。
怪物と天使が出会うことで、怪物の定義も、天使の定義も変わる。
その変質こそが見たい。
だから、ミーノスなのだと思う。
アルバフィカを優しく包み込む王子様ではなく、
アルバフィカの本質を、本人が嫌がる角度から照らす男。
アルバフィカを癒すだけではなく、
アルバフィカを怒らせ、立たせ、奪還させる男。
そしてその過程で、自分自身もまた変えられてしまう男。
私にとってのミアルバは、そういう関係である。
おわりに
「The Devil Wears Royal Oak」は、最初はかなりふざけた発想から生まれた短編だった。
『プラダを着た悪魔』のパロディ。
マンハッタンの投資会社CEOミーノス。
香水開発者のアルバフィカ嬢。
そして、ロイヤルオーク。
けれど書いてみると、そこには思った以上に、私がミアルバに見ているものが入っていた。
美貌を顧みない美貌。
その美しさを商品化する視線。
それに抗うアルバフィカ。
市場の言語で美を読むミーノス。
そして、その言語から少しだけはみ出して、自分の香りを取り戻すアルバフィカ。
これは、私にとってかなりミアルバらしい話だった。
ミーノスは、アルバフィカを救済する王子様ではない。
アルバフィカも、ミーノスを浄化する天使ではない。
二人は、互いを揺さぶる。
互いの価値観を衝突させる。
そしてその衝突によって、互いの魅力を最大化する。
だから私は、このカップリングが好きなのだと思う。
悪魔はプラダを着ない。
ロイヤルオークを身に着けて、アルバフィカの美の神話を暴きに来る。
最悪である。
だからこそ、ミーノスなのである。
(了)
