字書きのおえかき事始め その3
推しを推したいというより、推しのおかげ
2024年11月の半ばに、iPad miniのあまりの眩しさにクリスタによるお絵かき練習を断念した私は、その後もしばらく、「クリスタを開きたくない」という鬱屈した気持ちに包まれていたのでした。
結局、復帰したのは2025年2月23日、LCのアルバフィカのお誕生日の夜のことです。
私は、彼のお誕生祝いのイラストを描こうと、せっせとモデル写真を探し、そして約2か月ぶりにクリスタを開き、絵を描いていたのでした。
私が参加したのは、X上のハッシュタグ「#2025年魚座のアルバフィカ生誕祭」というもの。
そこには、すでに用意していた短編小説をポストしていました。
しかし、LCキャラはどうしてもハッシュタグでの投稿数が少ない。
「推しを推している数字のひとつとして、役目を果たしたい」
そう思って、私はApple pencilを再び手に取ったのでした。
このように説明すると、「推しのためだなんて、ドラマ演出が過剰では」という感じがしますが、本当に「きっかけが何かあればよかった」に過ぎないのだと思います。
「鬱屈」というより、具体的な「目の痛み」がクリスタを開けない主な原因ではありました。
でも、過去を振り返ると、ややイラスト練習に行き詰まりを感じていたのも理由のひとつです。
自分の絵が好きになれない病気
時はさかのぼり。
毎日えんぴつ漫画を描いていた中学生の頃。
自分の絵の気に入ってるところもあれば、すごく嫌いなところもありました。「なんか変」なのだけど、どうすれば変じゃなくなるのかがよくわからない。
それは私の場合は主に顎の輪郭から首にかけて。
私は当時写生や素描が嫌いで、好きな漫画複数を参考に絵を描いていたので、まあキメラな作画になっていたわけです。
今思うと、その「変さ」を修正するには、モデルを素描して「自然な形状」を把握するしかない。でもそれをしたくない。そして私の絵は「変」なまま。
いまお絵かきをやり直してみても、描き慣れて過去の描き癖がよみがえるほどに「変な描き方をする癖」が目に付く。
それがまたなかなか消えないのを見ていると、自分の絵を見ているのが嫌になってくる。
ただ、今回はヒントがあって。
ちゃんとモデル資料を元に作画すると、描き癖は矯正されるとわかって来ていました。
アルバフィカの絵も、モデル資料を元に描きました。
できあがったら、まだまだたどたどしい絵ですけど、自分的には「自分の絵の嫌さ」が軽減されてはいたのでした。

私にとっては、おそらくその「嫌さは減らせる」というのが、希望になったのだと思います。
私のお絵描き歴 補足(知りたい方向け)
記憶をたどると、Gペンや丸ペンでペン入れして、トーン貼りやベタ塗りし、仕上げた漫画やカラーイラストも、いくつかありました。
仕上げまでした漫画は10ページ前後。
カラーイラストは、30枚分くらい描いたかなと思います。
カラーイラストの色塗りは、何でやっていたかはっきり思い出せません。後半はパステルをカッターで削って筆で伸ばして塗っていた記憶があります。水彩は使っていなくて、色鉛筆で塗っていたかもしれないですね。主線だけ、カラーインクの黒か茶色で塗っていました。乾くとにじみが絶対に出ないので、カラーインクは使いやすくて好きでした。高価で、黒と茶以外は買えませんでしたが。
懐かしいですね。
目が痛いのどうなったの?
お絵かき再開してからは、「iPadのモニタを見ていると目が痛い」症状はいまのところ出ていません。
痛くなくなった理由ははっきりしませんが、PCなどのブルーライド画面を見るときに、ダークモードを多用するようになったことと、画面の文字サイズを好きなだけ上げるようにしたことが、もしかしたら関係あるかもしれないです。
つまり、日常に蓄積しがちな目の負担が減ったことで、iPadを見る余力ができたという。
私的には、ともかく「資料を見て描く」が命綱という気持ちで、いまは絵を描いています。
要は「私は私の描き癖が嫌いだった」「描き癖は単なる下手さのポイントだった」という話です。
いちおう…。
「資料(ポーズや服装)を見て描く」は、「未熟な証」という考え方もあると思います。
私の好きな漫画家はことごとく「がっつり資料派」だったので。「万全を期して常に全力」という姿勢に格好良さを感じていました。それにあやかって、私も資料命で練習を重ねたいと思っています。
ああもっと、モード系ファッション誌が模写を許してくれれば…。
イマジネーションの宝庫だと思います。でも難しいですね。ともかく、非公開で秘密練習するときの参考にさせてもらえるだけでも、ありがたいという話で。