小説「ガニメデの憂鬱」─ミロカミュ
Summary
✦ 原作の「カミュは何故氷河に聖域に来いといいながら、行くと怒ったのか」について、その裏側をミロカミュで捏造しました。
✦ ミロカミュ要素はほんのりです。ブロマンス風味。
✦ Melancholy of Ganymede — Japanese Original Text
ガニメデの憂鬱
様子がおかしい、と、気付いたのは俺だけなのかもしれない。
カミュの氷河についての言動は、このところ少し気掛かりだった。東京の「銀河戦争」へ氷河を送り込むという教皇の意思への反論。それも「まだ力が足りない」と、自らの弟子を教皇の前で卑下してのものだ。カミュとて聖闘士の力を私利私欲に使う「銀河戦争」なる茶番を、制裁することに異論があろうはずもない。
また、氷河はとうに聖闘士の資格を教皇から与えられているというのに、カミュは聖衣を授けなかった。教皇の制裁命令によって、やっと氷河は聖衣を得たのだ。
何故そこまで己の弟子を認めない?
それはカミュの指導力にまで瑕のつくことだ。それがわからないカミュではないはずなのだ。
「カミュ」
宝瓶宮に尋ねると、その主であるカミュはいつもの通りの氷のように冷めた顔をしていた。そんな顔で、宮の外に出て遠くを眺めていた。
「何を見ている」
声を掛けると、青緑の若草に似た長い髪が、風にねぶられながらこちらを向いた。
「ミロか」
カミュはそう答え、「どうかしたか」と続けた。
「東京の青銅の小僧共に、また刺客が放たれた。今度は白銀だ」
私の応答に、カミュはかすかに顔色を曇らせた。
「誰が行った? ミロよ」
「何を案ずるのだ」
そう聞きながら、私が蜥蜴座を始めとする刺客の名を挙げると、カミュは顔色を戻して行った。
どういう思いで落ち着いた表情を取り戻すのか、まだ怪訝な気持ちだった。そして、だからこそ、この男の弟子に関心が湧く。
氷河とは、どんな男なのだろう。
カミュは、「まだ力が足りない」と教皇の制裁命令に異を唱えた。しかしそれがどうだ。今度は、並み居る白銀聖闘士達の名前を聞いても、戸惑うどころか……。
「余裕だな。白銀聖闘士では相手にならないか、おまえの氷河は」
「……育てた中で、いちばんの出来だ」
カミュはまた、聖域とアテネに繋がる山々を見はるかす切り立った崖に顔を向けた。もうこちらの話に興味がないようだった。
「それは大した逸材だな。そこまで手塩にかけて育てて、離反されたのだ。おまえもやりきれないだろう」
カミュはもう答えなかった。そう、氷河は青銅聖闘士たちを葬る刺客として聖域の命令を受けた。そして東京へ派遣されながら、一向に青銅聖闘士たちを倒す様子を見せない。それどころか共に行動をして、白銀聖闘士たちに応戦していると聞く。もはや氷河までが、聖域にとっては制裁の対象なのだ。
「俺にも制裁の命令がくだった」
途端に、カミュの表情が変わる。
「なんだと。どこへ行く?」
カミュの血相を変えて俺を見た。その手が、俺の腕を掴む。
「──アンドロメダ島だ。教皇の召集に応じないケフェウス座の始末。だがこの任は、魚座のアフロディーテに譲ろうと思う。俺は東京へ行く。青銅相手にこれ以上の失態は許されん。白銀のやつらには任せておけんだろう」
「やめろ!」
俺はカミュの腕を掴み返した。カミュの青緑の眼が静かな怒りを宿してこちらを見据える。
「何をうろたえる。おまえらしくもない。氷河とは、あの氷河だろう。シベリアの海に沈む母親の遺体を引き上げるために、聖闘士になったという。おまえが長らく懸念していた少年だ。そんな考えでは到底聖闘士にはなれないと。それがおまえの自慢の弟子になり、そして、離反。だが、もう一人いたはずだ」
カミュの目は更なる怒りに燃えた。
もう一人──氷河が来る前、カミュが期待をかけていた弟子がいた。氷河がカミュに弟子入りするまで、カミュの話題の中心だった少年。
「……アイザック、だったな。どうしたあいつは」
俺の言葉に、カミュは端的に答えた。「死んだ」と。
カミュの眼は、暗転するように深い悲しみに沈み込んで行く。
「シベリアの海に潜った氷河が上がって来ず、氷河を追い、氷河を助け、そして、死んだ」
頭の中に、シベリアのツンドラの氷原と、凍りつく海の冷たさが浮かぶ。
俺は合点が行った。カミュが氷河に聖衣を授けなかったこと。刺客として制裁に出向かせる事に力不足と異を唱えたこと。そして黄金聖闘士の俺が氷河たちを制裁に行くのを止める理由。
氷河を失いたくないのだ。アイザックのように。
「カミュ」
俺は、目の前で額を抑えるカミュの顔を覗き込み、その両腕を掴んだ。
「おまえが止めるなら、俺は行かん。だが、おまえがけじめを付けろ。おまえの弟子だ」
カミュはしばらく沈黙したあと、俺の腕を風のようにすり抜けた。再び表情を凍らせたカミュの周囲の空気が、温度を下げて行く。カミュもまた、気持ちの昂りを内面では抑えきれないのだろう。
「わかっている。聖域への裏切りは死罪だ。弟子の不始末は師の私が付ける──この命をかけても」
カミュのその言葉を聞いた時、頭にふと浮かぶものがあった。
氷河と相対するカミュの姿。
カミュはそう言うが、この男は氷河を死なせるつもりなど微塵もないはずなのだ。
──では。
「ミロ。氷河を手にかけたら、おまえであろうと──許さん」
カミュは鋭敏だった。俺のほんのわずかな気配から、俺の考えを読み取った。
そう、わかっているのだ。自分が氷河を殺せないことを。だから、俺の考えの察しが付くのだろう。──俺が先手を打つ可能性を。もしも、カミュが氷河抹殺の指令を受けたときに、それを仕損じたら。それはカミュの破滅だ。
俺が何故、そんなおろかしいことを迎え入れられよう。水瓶座の黄金聖闘士であるカミュと、青銅聖闘士の氷河は比べるべくもない。聖戦は間近に迫っている。より大きな戦力が貴重だ。
「カミュ。俺は、おまえが真の聖闘士であると信じている。余計なことはしない。おまえに任せる。おまえのしたいように、するがいい」
俺はそう言わざるを得ない。女神の聖闘士ではあるものの、俺たちは、血の通わない無私の人間ではないのだ。
私がそう言うと、「ミロよ」とカミュは口走った。
そして不意に、カミュは膝を崩した。その体を、追いかける。
「このカミュ、氷河に母への未練を断てと言いながら、私こそがアイザックにも氷河にも情を断てん。アイザックを失って、氷河だけは……」
カミュは青緑の瞳から壊れたような涙を流していた。
「私は氷河を討てない。だから、この命をかけて、私は氷河にすべてを授ける。──そして、氷河が私を超えたとき、その意味を知るのだろう」
カミュは俺を見つめた。青緑の瞳は、確かに凍てつく炎を燃え上がらせていた。
「私は、全力を持って氷河を迎え撃つ。その中で、氷河は己を高めるだろう。私の位まで。水瓶座の黄金聖闘士は、一人いれば足りる。どうか、見守ってくれ。ミロよ」
全身に力が籠った。予感していた。カミュの心ここにない様子。何を思い詰めているのかも。気づかないわけがない。ずっと、見ていたのだから。
俺は表情を緩めた。笑むように。
「見届けよう、カミュ。──だが、俺はおまえの死を望まない。それだけは、覚えていてくれないか」
カミュの冷たい頬に触れた。カミュは、意図が掴めないとでもいうように俺の言葉に答えなかった。
「そう、おまえは自分のことだけ考えていればいい。他は俺が負う。おまえがどれほど迷っても、俺はいくらでも、おまえを助けよう。だから迷いたいだけ迷え。そして、生きたいように、生きろ」
カミュはしばらく無言で俺の目を覗き返していた。両頬を覆う俺の両手の甲にカミュの指が触れる。
「ミロ。私はおまえを、忘れまい」
聖衣越しにも、カミュの手の冷たさが伝わる。俺の手の甲の温度を奪う。
迷い続けるこの男の苦しみに、最後まで付き添う思いが変わることはない。
しかし願わくば、──。
(了)

