パリの片隅で交差する、庶民と貴族のミアルバ
本作品『ようこそ我が家へ』は、時代を20世紀に置き換え、ミーノスやアルバフィカを別の時代の普通の人々として描いたいわゆる「異世界転生」ものの類いになっています。
昨今の二次創作では、現パロ(現代パロディ)以外では時代や舞台を置き換えるものは見掛けないです。割と昔のトレンドだと思いますが、私は結構好きなので。ただ、読者を選んでしまうのは否めないですね。大丈夫な方向けになっています。
◆ 概要:ベル・エポックのパリを舞台にした“おうちデート”逆転劇
本作『ようこそ我が家へ』は、20世紀初頭のパリを舞台に、ミーノス×アルバフィカ(通称ミアルバ)の関係をロマンと諧謔を織り交ぜて描いた作品です。
短編集第3作にあたるこの話では、「恋愛に能動的なアルバフィカ」や、「華やかな貴族ミーノスとの生活的落差」、そして「覗かれる側の恋愛の痛み」が、豊かなディテールと機知をもって描かれています。
舞台設定は、ベル・エポックのパリ。
シャンゼリゼやヴェルサイユ、モンパルナス、アパルトマンの階段やパン屋の店員まで、当時の空気が読み手の視界に広がるような質感で再現されています。
◆ わざわざ来る、わざわざ招く──生活と恋愛の断絶
この作品の最大の魅力は、身分と生活空間の「落差」です。金箔の馬車ではなくとも、**貴族ミーノスの存在そのものが、庶民アルバフィカの生活圏にとって“異物”であり、事件”**なのです。
この事件を軸にして、「見られる恋」「誤解される恋」「他人に覗かれる私生活」──そういった“恋愛の受苦”が描かれます。
一方で、ミーノスは「身をやつしたつもり」の服装でやって来ては全く庶民に溶け込めず、逆に注目の的に。
アルバフィカは赤面し、怒り、部屋に引きずり込む──このドタバタには、喜劇のようなリズムがありながら、その裏に他人の視線が当たり前になっている現代的苦悩も読み取れます。
◆ 「人の目」を超えるには──他者との接触恐怖と恋の能動性
アルバフィカがこの物語で抱えるのは、幼少期の傷から来る人との接触恐怖です。かつて自分が感染症を移してしまったという罪悪感。それが、他者を避ける生き方に変わっていた。
しかし、
「あなたは誰よりもしつこかったから」
という一言に代表されるように、この物語のアルバフィカは逃げずに恋に身を投じる強さを選びます。
しかもそれは、ただ優しく包み込まれて変わるのではなく、
- 相手の振る舞いに怒り
- 自分の生活を守り
- 最後には、叔父の追撃に対して「これからセックスするから来こないで!」と電話口で叫ぶ
──という、最も能動的な自己決定の形として描かれます。
その“堂々たる恥の表明”により、恋愛が他人の視線ではなく「私自身の意志」で成立するのです。
◆ 恋は盲目、ではなく「世界の書き換え」
ラストでアルバフィカは、
「わからない。盲目だというから、──恋は」
と語ります。
これは、他人の視線、叔父の過保護、階級差、自己不信──あらゆる“説明”の体系を超えて、恋が意味を再編成してしまう力そのものを語った名セリフ。
それにミーノスは、「あるものは使えば」と静かに応じ、ふたりはヴェルサイユへと去っていきます。
この結末には、“支配”や“救済”ではなく、**対等で美しい“逃走”**の手触りがあります。
◆ こんな方におすすめ
- 階級差・空間差によるロマンスのズレを楽しみたい人
- 能動的なアルバフィカの恋のかたちを見たい人
- パリ的世界観・芸術・美食などに興味がある人
- 他人の視線に抗う恋愛というテーマに惹かれる人
◆ 本文はこちらから読めます(Pixiv)
──それは、逃げではなく、選び取ること。
笑いと恥と自己決定の混ざる恋。
あなたの恋が、どこかで“見られている”と思ったことのあるすべての人に。