ミアルバ二次創作小説「やわらかな爪のあと」

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やわらかな爪のあと

ミアルバ二次創作小説「やわらかな爪のあと」

Summary

  ✦ 聖戦後よみがえり設定。
  ✦ 物語より、関係性のイメージ化を主眼にしたモノローグ。
  ✦ The Soft Marks of Claws — Japanese Original Text


 

 

やわらかな爪のあと

  

   ✦ ✦ ✦

 

 淡い光が緩やかにあたりを照らす。ほんの数日前までの寒風は、翻ったように姿を変え、温かな南風となって戻って来た。春の訪れの証は、芽吹く木々の緑の葉にも、花を内に養う色づいた蕾にも、現れている。年中咲き競う魚座の魔宮薔薇も、春は一層、その美しさを募らせる。
 この世ならぬ黒曜石に似た輝きを持つハーデス軍の冥衣。鷲獅子を象ってつくられたその鉱物に体を覆わせたミーノスが、緑の中に足を踏み入れる。冷めた黒曜石に不似合いな、生命力の溢れる緑の庭である。木々は、異質な存在の来訪に、ざわめくように揺れた。
 その風の音に、アルバフィカの長い髪が振り返る。光を散りばめたような艶を持つ豊かな髪が、風に流されて空に舞った。イオニア式の貫頭衣に包まれた深い襟ぐりが覗く。水色の髪と、白い肌をした首の背に連なる根本には、横に裂くような引き連れた傷が刻まれていた──猛禽の、爪痕のような。古傷とはいえ、その大きさは目にむごく、滑らかな肌と髪の美しさを、対照的に際立たせていた。
 風の中、細く長い指が髪を払い、輝く髪の中から翠玉の色の二つの瞳が現れる。
 その目は、自ら守護する双魚宮の庭に現れた異界の存在を認めた。
 しかし、気を払うことなく、また両の目は正面に戻る。
 アルバフィカは、そのまま薔薇園の手入れを続けた。彼にはミーノスがこの園にそれ以上侵入しないことはわかっている。この園の薔薇の持つ毒の棘と香気は、冥衣とて防ぎ切れるものではないから。
 触れるのでなければ構わない──と言わんばかりに、アルバフィカは手を休めることなく、花殻を摘み、花が咲きやすいように枝と葉を避けた。視線が注がれることさえ意に介さない。しかし日の下で作業を続けたアルバフィカは、こめかみから一筋の汗がしたたるのに気付いたらしい。吐息して、手首に巻いていた紐を解き、その紐で長い髪を束ねる。
 光の粒が散るように髪が流れて、再びアルバフィカの首の後の傷跡は露出した。
 柔らかな風がまた吹き抜ける。風に乗って、赤い花びらが空に散る。花びらの一部は、群れをなして双魚宮の方へ流れ込む。その双魚宮の端の、庭の白い柱に凭れ、ミーノスが佇む。アルバフィカを眺めるミーノスは、傷の現れに、口角を上げた。
 その傷は、かつての戦いで──ふたりの出会いの時に、ミーノスがアルバフィカに付けたものだったから。
 その時に、ミーノスの見えない糸は、アルバフィカを完全に拘束し、自由を奪った。その出来事さえも遠い夢の中のことのように、いまお互いの距離は遠い。毒の薔薇も、彼の体を流れる毒の血も、アルバフィカを誰からも遠ざける。
 だとしても、その首の引き裂き傷は、アルバフィカがミーノスの手に落ちた証だった。
 聖戦後、お互いにお互いの神の力で蘇生したものの、何故か、アルバフィカの首の傷だけは消えることがない。
 鳥が、時折囀る。飛び立つ音も空に響く。しかし羽音はしても、薔薇園を鳥が横切ることはない。虫も命を維持できない薔薇園の毒の香気は一切の生命を阻む。花と花、葉と葉が揺れて重なるざわめきだけが、音となってアルバフィカを包む。
 アルバフィカにとっては、何事も己とは無縁なのだ。
 首のむごい傷痕さえも、痛みもなければ動きの支障にもならないなら、そこにあることすら気に留めない。人に見られることも、人がその傷とアルバフィカの顔に視線を交互させて驚くことさえも、関心の外だった。
 地に注ぎ続ける日は、少しずつ気温を上昇させる。アルバフィカはもう一度、額の汗を拭った。微風に目を細める。涼しさと、アルバフィカにはその香りの高さだけが感じられる薔薇の香気を、風が運ぶ。彼以外には猛毒の香気を。
 
 ひとしきり手入れを終え、アルバフィカが薔薇園から双魚宮の方へ足を向けたとき。飛び立つ猛禽の風を攫う音がした。顔を向けても、ミーノスはもうそこにはいなかった。
 白亜の石柱はふたたび無機質な風景の一部になる。
 ──一体、何が楽しくて、飽きずに眺めに来るのか。
 アルバフィカは束ねた髪を解き、また風に髪をさらわせながら石柱の方へ進む。
 ふと、緑の原の上に、濃密な赤い色をした薔薇の一輪が見えた。
 アルバフィカは眉を潜めた。極めて毒性の高い魔宮薔薇の特徴。あの危うい花を、まさかミーノスが手に取ったのかと、アルバフィカは薔薇に近づいた。
 腰を落として薔薇を眺める。見れば薔薇は、くの字に二つ折りにされている。薔薇の首元のあたりで。
 ざわめくように風が強く吹いた。薔薇の花びらがまた舞い上がる。
 日が厚い雲に覆われて、影をつくった。
 折られた薔薇の首、茎がささくれ立った亀裂。
 アルバフィカは、知らず知らずに自らの首の背後、忘れていた傷痕に指で触れた。
 猛禽の薄紫の眼が、いまもこちらを捉えている。その錯覚が、花開くように広がった。


(了)


 

 

✦End notes✦

 お読みくださり、ありがとうございました。

 AO3 Translation : 📎 English | 📎 French
 二次創作(小説・イラスト):📎Pixiv
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