SNSと一次創作小説の、根本的相性の悪さ
── 一次創作小説は 「価値が伝わる状況」が整わないと読まれない。
SNSはその状況を壊してしまう。
思いつきの始まりは、BlueSkyでの私の次のポストでした。
大それた話だけど、今年は「一次創作小説は無料でSNSに掲載されて当たり前」に何か違う道の模索ができるといいなと思ってます。
問題点は、「著作権の勿体なさ」。
公開してしまうと雑誌や新人賞にも持っていけない。
しかも昨今ではAI学習素材にされかねない。有料販売は難しいけど、著作権の保持をしながら、何とかならないかなと思ってます。
https://bsky.app/profile/amagaishuka.bsky.social/post/3mbdr5wwv6224
誰でも思いつくKindleUnlimitedが、今のところ悪くない手かなと。
読み手さんも匿名のまま、作品読むだけで済ませられるし。
InkSanctum
@amagaishuka.bsky.social
この記事では、このポストに行き着く「一次創作小説をKindle Unlimitedで公開するメリット」について解説します。
どちらかというと文学寄り、エンタメでも即バズよりランニングホームラン系の長く読まれる小説が題材です。
1|思考の器である小説 vs 直感の器であるSNS
「アマチュアの書いたオリジナル小説は、どうすれば読まれるのか」。
そう考えたときに、今時だとまっさきに頭に浮かぶのは「SNSでの仲間探し」ではないかと思います。
そして、先例を見ると「無料公開作品が多い」とすぐに気付きます。
「SNSで読書好きを探して相互になった」
「アマチュアだし、お金をもらっていいかわからないから、作品は無料公開」
「でも、そこから先が、なにもない」
ここで、
「でも、書くのが好きだから書く」
「読んでもらえるだけでも幸せ」
そう落ち着いていることも少なくないように思います。これもひとつの正解であることに間違いはありません。
ですが、視点を変えて読者の気持ちで状況を眺めていると、とてももったいないと感じるようになりました。
それは、何年もの間読まれている、ロングラン作品の数々でした。
SNSは「バズ」という瞬間最大風速が重視される即時消費のメディアです。
一方で、小説はパッと見ただけでは中身がわからない。時間を掛けてじっくり読むものです。
これを考えただけで、そもそもSNSは小説と合わない。
小説はいわゆる「思考する楽しさ」をともないますが、SNSは「直感的に感覚的な楽しさ」に向いています。
──人と繋がらなければ、作品の存在を知らせられない。
でも、そこにいるのは「見た瞬間に楽しさがわかるもの」を求める人たちなのです。
まずはこれが、「一次創作小説とSNSの相性の悪さ」の第一点です。
疑問:でも、人気ある小説書きもいるよね?
もっともな疑問です。
でも、それには理由があります。その人達はもう作風が「お馴染み」なのです。
もう最初の段階の「思考」➡️「理解」の段階をほとんど終えている。だから、感覚的に「いつものお馴染み」として楽しく感じられる。
映画でも、まったくの新作よりも、派生作品やスピンオフに根強い人気と需要があるというのと、似ていると思います。
また、「即バズ系のライトノベル、エンタメ」も、ここに含まれます。これらの作品はほとんどの場合「既存のテンプレート」に上手に話を流し込んで作られています。どこかで見たことがあり、聞いたこともあり、すぐに馴染める設定。(例:異世界転生、悪役令嬢もの、など)。わかりやすいキャラクター設定、それでいて直感的な刺激(感情に訴える展開やセクシャルな刺激)。もう、決定的に「お馴染み」です。
2|相互圧が「読む負担」を生む
SNSと一次創作小説の相性の悪さの二つ目が「相互圧」です。
「相互圧」とは、ここでは「交流上発生する義務感」のことを指します。
SNSはコミュニケーションのための場所であり、そこでは「お互いにギブ&テイク」の関係が自然発生しやすいです。これは親しくなればなるほど、お互いの心に生まれやすい。
しかしこれはあくまで「義務感」であり、実際に発生する「義務」ではない。
つまり、この場に一次創作小説を流し込むと「読んでほしい」という圧力と、「読まなくてはいけない」という義務感がお互いに自然発生しやすい。
ここで明確な線引きがあらかじめできているなら、読み手のほうに負担は少ないでしょう。つまり、「相互」アカウントが一次創作小説を公開したと告知を流して来ても、「私は小説を読まない」と日頃から宣言しているようなアカウントなら、読まなくても人間関係に支障は出にくいです。
なかなかそうも行かないのは、SNSで交流を体験している人なら、概ね察しが付くと思います。一次創作の書き手は読まれたい、読んで良かった点について評価を受けたい、というのが最大のそこにいる理由だからです。
人間関係を挟まない読書を振り返ってみても、「積読」はけっして珍しい状態ではありません。
人は、お金を払って所有した本でさえ、何年でも放置してしまうものです。
小説は、もともと「すぐに読まれるもの」ではないのです。
小説は、読者に「読む姿勢」を要求します。時間も気分も必要です。だからこそ、小説をどう読むかは、読者の自由である方がいい。読む日、読む時間が決められている小説は、読者に嫌われてしまいやすいです。
ここもまた、即時性のSNSと徹底的に相性が悪いですね。
書き手は「リンクをクリックしたのだから読むだろう」と思いたいものですが、読み手にとっては、なかなかそうはいきません。それが普通で、当たり前で、──作品の力不足ではないでしょう。
むしろ、SNSの生み出す「義務感」が、作品を読まれないまま封印してしまう構造そのものではないでしょうか。
3|無料公開は作品の価値を削る
無料提供は、ほとんどの場合、著者の謙虚さからそうなっていると思われます。
そして、無料提供が常態化しているからこそ、有料とすることを「強欲」「相互から搾取」といったネガティブなイメージも生まれてしまうのではないでしょうか。
しかし、それは本当にそうでしょうか?
人は、無料で提供された小説と、お金を払って所収した小説、どっちが大事だと思いますか?
なんとなくわかると思います。
多くの人は、「お金を払って買った小説」の方がずっと大事です。
では、なぜ、そうなるのか?
おおむねこう言えると思います。「自分で、価値を認めて選び、お金を払ったから」ですね。
人は、コストを掛けたものに価値を見出しやすいのです。その点、作者が謙虚な気持ちで差し出す「無料の作品」は、その公開のされ方からして「有料の価値がない」と自ら宣言しているように見えてしまう。これは気持ちの上での錯覚に過ぎないのですが、人のよくある心の動き方なのです。
人は、いいものにお金を払って、それを手に入れたいのです。
そして、無料の作品に「相互圧」が組み合わさるとどうなるか、もう想像ができてしまうと思います。SNSで読み手の目の前に表示される「一次創作小説」という存在自体が、負担になってしまう。
4|有料化は読者を自由にする
「1」で、小説は「思考・理解」と分類しました。
これを踏まえて、小説の著者と作品と読者は、とても不思議な関係になることを一度紹介します。
小説には「思考・理解」が必要で、それは「交流」をともなうSNSと非常に相性が悪いです。その相性の悪さのもう一つの理由は、「作者が他人である方が読みやすい」という性質です。
作品を読むとき、人は自分の自由な読み方をして楽しみたいものです。
その楽しさと、「作者と交流がある」という関係は、意外と読書の楽しさを阻害します。発想の自由を奪ってしまうんですよね。作品を読みながら、「これは作者の体験かな」と思いつつ、「いやいや、絶対に体験してない」と交流の印象から考えたり。いつの間にか、作品とともに作者との交流に気が散ってしまう。これは結構窮屈です。
でも、人気作家はプライベートを知られたがったりしますよね。メディアを通じて作家のプライベートが公表されることも珍しくありません。
だとしたら。作者のプライベートを知ってしまったら、交流している友達の作品を読む時と同じになるのではないか? という疑問が生じると思います。
しかし答えはNOです。
なぜかというと、「双方向の関係性ではないから」なのです。
この関係の場合、作者像はどこまでも読者にとって見知らぬ他人であり、一方的な観察対象です。メディアを隔てて、読者は作者を「向き合う人間」として知り合うことはありません。どちらかというと、作者は読者にとって「作品の一部」に見えるでしょう。だからこそ、読者は自由な読書を阻害されない。発想も想像も自由に作品を楽しめるのです。
ただ、この「作者像ごと作品を楽しむ」が読書の方法として適切なのかは、また別の話ですが。
つまり、SNSを離れ、作品が有料である場合、その作品は読者にとって作者と切り離されて独立します。
読者も気が楽です。お金で購入した作品に対して、感想を伝える義務もなければ、自分が何者かを作者に表明する必要もない。自分の好みに合わせて買い、自分のペースで読み、読んで楽しければ再読し、つまらなかったら処分する。そこに、作者への気兼ねは必要ありません。読者の自由です。
5|一次創作小説に必要なのは「金額」ではなく「価値の枠」
アマチュアの一次創作小説にいくらの値段をつけるのかは、なんとも言えないところです。
ただ、数百円の価格としても、「アマチュアの一次創作小説も有料で提供するもの」という習慣ができれば、自然に市場価格に合わせた値付けになって行くとは思います。
ここまで、「一次創作小説で儲けたい」「利益を出したい」という話ではなく、「よりよい読書」「よりよい作者と読者の関係」のためにも「作品に商品価値を付ける」という方向性を示唆してきました。
これまで「それしかない」と思われた「SNSで一次創作小説を無料公開する」は、むしろ読んでもらうための悪手だった可能性があります。私はそう思っています。
仮に、芥川賞系の純文学作家がPixivに匿名で新作を公開したと想像してください。
まず「読みにくい」「とっつきにくい」「なんだかわからない」となり、しっかり読まれるまで時間がかかるでしょう。作品タグによっては数日で過去作に埋まって、読まれない可能性が想像できるのではないでしょうか。ここで這い上がって来るのは、文体に特徴があって、気を惹く力のある文体の書き手に限られる、そんなリスクもあるかもしれません。
つまりどれほど作品が優れていても、「読まれる状況」が整っていなければ埋もれるリスクがあるということです。
インターネット上で、作品に合った状況を作者が作る。品のいい高いワインを回転率で稼ぐ牛丼屋に置かない。飲みに来る人もいません。牛丼チェーンに無料でワインが提供されいたら異様です。飲んでも、おそらく飲みなれない人なら味がわからない。なぜ牛丼屋に場違いな酒が置かれているのかも、お客にはわかりません。混乱します。
いま、そんなことを考えています。
結び|一次小説は「読む姿勢」のある場所に置くのがよい
回答の一つとしてのKindle Unlimited.
これまでの理屈を組み合わせると、
- SNSではない場所で売る。
- 有料販売。
- しかし有料で売れるかわからない。(品質不明)
これらを満たす環境のひとつが「Kindle Unlimited」だと私は考えています。
▶️ Kinlde出版の公式サイト KDP
Kindle Unlimitedに作品を登録すると、かなりシビアな収益計算方法になるので、読まれてもほとんど利益は出ない可能性もあります。しかし、この目的は「稼ぎ」ではありません。「読まれるのに適切な状況探し」です。
その点で、これは良いです。
その上、読み手にとってはサブスクリプションの一環として無料と同じ感覚で手に取ってもらえます。これは大きなアドバンテージです。さらに、購入されるまで非公開ですし、コピーやAI学習といったリスクも大きく軽減されます。
しかし、また、これも「即売れる」という売り方ではないです。狙えるとしたら「読む準備の整った人に、順次読まれていく」という売り場での置かれ方になるでしょう。だから「ロングラン作品」との相性が良いのです。
そしてもう一点。
──読まれた先に何があるか。
ここから先は私もまだ未知ですが。
Kindle Unlimitedにしろ、Amazonでオリジナル作品を売るのは実績です。
売れ行き、または読まれないという経験から、新たな発表の仕方を考える次の手に繋がるのではないか、と、いまは考えています。
ただ、出版社は「売れる書き手」が欲しいのは間違いありません。
ちなみに、Amazonにkindleを作って置いておけばそれでいいのか、という「どう人目を自分の作品へ連れてくるか」が「SNS離れ」によって改めて気になると思います。
私は、BlueSkyのフィードを試してみたいといま考えいます。
BlueSkyもSNSですが、Xとの最大の違いは「フィード」という共通の話題を読むという目的があることです。ここで、相互やフォロワーではなく「フィード」に作品情報を流す、という方法。これをいま、試してみたいと考えているところです。
🔽 BlueSkyの「フィード」に関する過去記事
ここまでの内容は、私自身まだ模索中のことで「正解」と言えるものではありません。
私自身、これから自分に合った作品の公開方法を探したいと思っています。
そして、またひとつ新たな思いつきがあったら、このブログで共有したいと思っています。
参考になるかはわかりませんが、いま私が進めている一次創作小説についてご紹介します。

お読みくださり、ありがとうございました。
※なお、この内容は、ライトノベルやエンターテイメントでバズる作品は対象外です。あれらはまた違う力学で動いています。


