ミアルバ小説「遠雷」

Minos/Albafica Fiction
Minos/Albafica

ミアルバ小説「遠雷」

Summary

✦ 聖戦後よみがえり設定。
✦ 深草の少将と小野小町の百夜通いをモチーフに。
✦ Distant Thunder — Japanese Original Text


 

 

遠雷

 

   ✦ ✦ ✦

 

 聖域の最深部アテナ神殿を守護する十二の宮の黄金聖闘士は、それぞれの宮の中にいる間、どの宮が侵入者に突破されたかを感知することができる。そのため、十二宮最後の宮である双魚宮を守護するアルバフィカも、侵入者が宝瓶宮を通り抜けたことを察していた。

 だから、侵入者である冥界の冥闘士、墨染の冥衣に身を包む天貴星のミーノスが双魚宮の前に現れたときには、迎え撃つべく宮の正門の前にいた。

 アルバフィカがミーノスに赤い魔宮薔薇を投げると、ミーノスは身をかわして薔薇を右手で受け止めた。

「物騒な歓迎ですね。私は客だというのに」

 厚かましい口調でそう言ってのけるミーノスに、アルバフィカは冷めた視線を投げかけた。

「知らん。排除される前に帰ってもらおうか」

「女神にもお手紙をしたためましたし、ご許可はいただいています。だからこうして、戦闘もなく、冥闘士の私があなたの元へたどり着くことができたのではありませんか」

 アルバフィカは眉間に皺を寄せた。

 女神サーシャのロマンチストぶりにも困ったものだ、と──。もうアルバフィカにもわかっている。聖戦を終えて双方の和解が成り立ち、聖域と冥界は休戦中。そして女神サーシャは双方の友好を望んでいる。そのサーシャの気持ちに付け込んで、ミーノスはたくみにも、まずはサーシャの懐柔に乗り出した。せつせつとアルバフィカへの思いをサーシャに訴え続け、そちらを味方に引き入れてから、堂々とアルバフィカの元へやって来る。

「ミーノスはね、あなたが好きなんですって。あなたと戦って心洗われる思いだったそうよ。悔い改めたいと繰り返し手紙に書かれていたわ。ねえ、会ってあげて、アルバフィカ」

 サーシャからもそのような説得を受けた。

 しかしアルバフィカは釈然としない。「力のない者は力のある者の意に従うのみ」と言ってのけていたミーノスが、敗北くらいでやすやすと「心洗われる」わけがない。

「アテナ様までたぶらかし、一体なんのつもりだ」

 アルバフィカがそう問うと、ミーノスはとぼけた顔をして、「おそれおおい。たぶらかしてなど」と微笑する。 

「アテナはともかく、あなたにいつわりなど申すものですか。もうそろそろご理解くださいよ。我々は、もう百度はこの問答を繰り返しています。最初は信用しなかった下の宮のあなたのお仲間方も、いい加減私に同情してますよ。だからもう理由も聞かれません。ただ私を通してくれます」

 アルバフィカは険しい目をしてミーノスを見つめ返した。

「どんな物好きが──、ここまで虚仮にされてそれでも足を運ぶんでしょう」

 聖戦が終わって、どれだけ過ぎたか。アルバフィカは反芻した。三年は過ぎている。

 冥界三巨頭の一人であり、冥府の裁判官という高位にあるこの男。その男がひたすらに、繰り返し双魚宮を訪ね続けた。何度門前払いしても、追い返しても。最初は反発していた第一の宮白羊宮から始まる十一人の守護者らも、いまやミーノスをもう咎めることもしない。アルバフィカもそれは知っていた。

 アルバフィカは、双魚宮の入り口に佇むミーノスに背を向けた。そして、無言のまま、中へと歩んで行く。ミーノスは、その後を追った。ミーノスが入口より中に足を踏み入れたのは、初めてのことだった。

 アルバフィカは、双魚宮の中まで戻ると足を止め、振り返った。後に続いていたミーノスも足を止める。

「それで、私に何の用だと言う」

 アルバフィカのその問いに、ミーノスは答えた。

「口を聞くのに百回通わせるんですか。あなたの気位の高さも相当なものですね。──でもそんなきみだから、この労も、惜しいとは思いません」

 ミーノスは手にした赤い魔宮薔薇の香りを確かめるように顔を寄せた。アルバフィカは問い掛けた。

「もう、その薔薇の毒の香気は、おまえに効かないのか」

「さあ? またかつてのように心臓にきみの毒を注ぎ込まれては、命が危ういでしょう。でもいまこの体には少し耐性があるようです」

 アルバフィカは吐息した。

「厄介だな、おまえらは。不死の冥闘士が、毒で倒しても毒の耐性を身に付けてよみがえるのでは、そのうちおまえの毒に私が滅ぼされる」

「なにを、弱気な。きみともあろう人が」

 ミーノスは笑った。そして続ける「この三年、きみの手酷い拒絶を受けながら、繰り返し考えました。何故私はきみに負けたのか、何故私はこんなに、きみに会いたいと思うのか」。

 ミーノスは手元の薔薇を見つめながら、語り掛けた。

「私がどれほど力による支配を目論もうとも、あなたはそれに屈しない。そして私は、力に屈しない、ままならないあなたが好きなんです。だからあなたは美しい。蠱毒のように、欲望と欲望が食い合って、結局は、頭を下げてでもまたあなたに会いたいと思いました」

「執念深いことだな……」

 アルバフィカはそう言い、またミーノスに背を向けた。その背にミーノスが言う。

「私もあなたを見習って、これだけは遂げたいと思ったのです」

 アルバフィカは歩み出した足を一歩で止め、少ししてまた歩き出した。その後を、またミーノスが追う。

「これまでも、ここまで来たのだから、押し入ろうとすればいつでも出来たはずだ。しなかったな」

 アルバフィカが前を向いたままそう言うと、ミーノスが答える。

「だから、それをしてあなたが私に振り向くなら、したでしょう」

 アルバフィカはミーノスのかつての攻撃力を思い出す。不可視の糸を使ったなら、アルバフィカの自由を奪うことも、状況をほしいままにすることも容易いのがミーノスである。それをせずに、ただひたすらに、アルバフィカの許諾をこの男は待ち続けた。
 毎度一昼夜を双魚宮の前に佇み、そしてその去り際、いつも宮の階段に一輪の芍薬の花を置いて。

 ──それは、執念なのか。アルバフィカの胸の中で、その自問に「否」と答えが出る。

 アルバフィカももう、わかっていた。ここまでこの男を導いたのが、その答えなのだ。

 宮の中央の廊下を逸れて脇の通路へ。その先を抜けると、また日差しが宮の中へ差し込んだ。日の射す方へ進んで行くと、その先にあったのは、開けた庭。花開く芍薬で埋め尽くされた。

 ミーノスは目を見張った。淡い紅色の花は、忘れもしない。

「おまえがここを訪れるたびに、置いて行った芍薬だ。花に罪はないと、この庭に植えているうちに、ここまで花畑が広がった。元はただの、草深い原だったものが」

 アルバフィカはそう語った。そしてミーノスを振り返る。

「何故芍薬を?」

「いえ。あなたを思い出すと、戦いでないなら、あなたには薔薇よりもこの花が似合うと思ったのです」

 ミーノスは穏やかな顔でそう、アルバフィカに告げた。アルバフィカはきまり悪そうに視線を逸らす。蝶と蜂が、競うように芍薬の花壇で舞っている。天の雲の奥で、微かに遠雷の気配がした。もうすぐ夏の盛りが近づいている。

「アテナ様も、おまえも、どうしようもない。夢ばかり見て。私がなにほどのものだというのだ。私はただ、亡き師に恥じない魚座として生涯を全うできればよかった。おまえの侵攻を防いで大切なものを守り、私はそれを果たした。だからもう、この芍薬のように穏やかな花を眺めていられればそれで十分だというのに」

 見つめ合うアルバフィカとミーノスの頭上で、雲の中で唸り始めた雷鳴がする。

 そして間もなく、雨が降り始めた。

 雨はみるみるうちに激しさを増し、土砂降りの豪雨になり、落雷をともなった。

「雨が上がるまで、ここにいるといい」

 アルバフィカは言った。


 ──雨が上がるまで。


 雨が上がっても、双魚宮から冥闘士は出て来なかった。


 ──夜が明けるまで。


 夜が明けても、冥闘士はまだ双魚宮から出ては来ない。


 ──夏が終わるまで。


 ──……この命が、尽きるまで。

(了)


 

 

✦End notes✦

 お読みくださり、ありがとうございました。

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