二次創作と一次創作のあいだ #1
このシリーズでは、「二次創作と一次創作のあいだ」として、二次創作をしながら生まれてしまう一次創作について、自分の体験をもとに解説します。
主に次の方に向けた内容と思いますが、創作に興味のある方(読み書きどちらも)どなたでも楽しんでいただけると思います。
- 二次創作をしていて、一次創作にも興味がある。
- 一次創作を書いてみたい。
- 二次創作と一次創作の境界について考えてみたい。
二次創作にも書き方があると思う
そもそも一次創作的な二次創作を書いていた
ミアルバを書きたくて二次創作しているのですが、あれこれと物語を書いているうちに、ミアルバの枠組みからはみ出したものを書きたいと思うようになりました。
そして、noteで『キシャキシャきつねとマルセル様』という小説の連載を始めました。
この小説は一次創作に位置付けています。
登場人物の名前はミーノスでもアルバフィカでも、『聖闘士星矢』シリーズの誰とも違います。彼らは冥闘士でも聖闘士でもありません。男同士でもない。
ただ、私の主人公のマルセルは、ちょっと気取った、都会の若い貴族の御曹司です。
伯爵家の跡取り息子であることがプライドで、身分を鼻に掛けている印象があります。
身分が高いほうなので、身分の低い者には居丈高で高慢。
──これは確かに、私の書く二次創作のミーノスと似ているかもしれません。
ただ、私の書く二次創作のミーノスと似ていても、本当に原作のミーノスと似ているかは、また別の問題だと私は思っています。
そもそも、原作のミーノスはここまで生優しい性格ではありません。
原作LCを振り返ってみると、ミーノスはサディスティックな支配欲の強い男で、自分の力の強さを誇示するのが好きなくらい自惚が強いです。そして、紛れもなく悪です。
そして、原作で恋愛関係でもなんでもないミーノスとアルバフィカの恋愛を書くために、私はいつも「ミーノスっぽさ」の核を決めて、そこから拡張解釈が可能な人間性をミーノスに付与して自分の作品の中で描いています。
私の「マルセル様」は、その拡張解釈の部分から分岐した、一人のキャラクターです。
では、この「拡張解釈」とは一体なんでしょうか。
拡張解釈 ミーノスの場合
「もっともミーノスらしい性質は何か?」(=キャラクターの核)
まず、この「キャラクターの核」を考えました。ミーノスの場合は、ここが明確です。
それは、「支配性」。
この「支配性」は、ミーノスの必殺技「コズミックマリオネーション」とも一致しています。ミーノスの「ミーノスらしさ」とは「支配」にかかわるものなのです。
そして、この「支配」から連想される行動、言動、表現、服装、職業観、恋愛観、を当てはめていくと、「ミーノスっぽさ」は形作られます。
「支配的行動」→ 他人の自由を認めない → 相手の行動を制限する → 束縛が強い → 門限を決める、決まった時間に電話させる(これを相手の自発行動としてさせられると完璧)。
「支配的言動」→ 常に自分が優位であろうとする → 相手の劣等感を刺激する → 成績優秀さを示す、資金力、容貌など相手が価値を置いているものを所有していると示す。
この「らしさ」のフローは、左の出発地点がもっとも抽象的。そして、矢印の右へ行くほど具体的になります。
つまり、右へ行くほど拡張された解釈になる。
そして、右へ行くほど分岐します。この分岐が枝葉であり、枝葉にもミーノスらしさはありますが、分岐して枝葉になるほど「ミーノスらしさ」は薄まっていく。
なぜなら、分岐した枝葉は「原作では描かれていないことだから」。
拡張解釈から類型を見出す
おそらく私のマルセルは「伯爵家の長男であることを、誇りつつも鼻に掛け」ます。これは他人からすると高慢に見えるでしょう。高慢に見えるのはミーノスと似ています。
しかしこの「高慢な貴族の青年」は、ミーノスの固有性ではありません。類型なのです。
類型とは、パターンです。
一定の「あるある」です。
枝葉は、この「あるある」でもあります。
逆に言えば、私は、ミーノスの「ミーノスらしさ」を考える時に、既存の類型の中から「ミーノスらしさ」を選んで当てはめていたとも言えます。
つまり、私が描くミーノスは、私が選んだ類型でもあるのです。
そして、私はその類型の中の一つを、マルセルにも当てはめた。
だから、二人は似るのです。
同じ「支配性」を核とする類型のパターンから、ミーノスもマルセルも描かれる。同一の書き手である私が書く。それが、「私の書くミーノス」と、「私の書くマルセル」の類似の理由です。
これが、私にとっての「二次創作」と「一次創作」のあいだです。
そして、この「類型を当てはめる」という書き方が、そもそも一次創作的です。
では二次創作的な書き方とは
実は「二次創作的な書き方」の方が私にはよくわかりません。
二次創作もまた、自由に思ったことを書いていいと思っていますが、他のファンと共有するときに、原理的に共感が得られやすいものと、得られにくいものがあるとは思っています。
共感が得られやすい、とは、まずは「原作の設定に状況が近い」こと。
舞台、時代、身分、容貌、口調など、そのキャラクターを形作る外側です。つまりプロファイル。プロファイル、そして状況(シチュエーション)が近いことはかなり共感を得るために重要です。
共感が得られにくい、とは、その逆ですね。「原作の設定から状況(シチュエーション)が遠い」こと。
舞台、時代、身分、容貌、口調が違う。キャラクターを形作る枠組みが違えば違うほど、「二次創作」といっても原作が同じとは感じづらくなります。
とはいえ、「原作の設定から状況が遠い」枠組みの中でも、「定番のパターン」に落とし込むなら共感は得られます。
もうお気づきと思いますが「現代パロディ(現代AU)」は人気です。
人気であり定番のパターンは受け入れられます。
もう少し踏み込むと、賛否はあっても「推しキャラの結婚」「推しキャラの同棲」といったシチュエーションの人気パターンも「定番のパターン」と言えるでしょう。
すると、「原作設定近似」か「定番パターン」のどちらかが、二次創作として読み手に受け入れられやすい作品の基本設計になります。
そして、このどちらも満たしていない場合、それは「二次創作」ということは可能でも、読み手が共感する確率が著しく下がることが多い。
むしろ「原作設定皆無」「非定番パターン」に近づけば近づくほど、それは「登場人物の名前だけが一致した別の作品」になっていく。
ただし、二次創作のキャラクター解釈は自由
先ほどは、「設定」としてキャラクターの枠組みの話に終始して、肝心の「キャラクターの性格」の話に触れませんでした。
一応解説しておくと、ここはあえて省きました。
なぜなら、キャラクターの解釈はかなり自由度が高い部分で、意見の相違が起こって然るべき部分だからです。
キャラクター解釈は「あの人物は残虐ファイトをしていたけど、本当は優しい」といった性格づけを読解することが、可能になりうるのが「物語」なので。
キャラクター解釈に関しては、他人から見て「ぶっ飛んでる」と思われるものがあったとしても、共感者が多いことは日常茶飯事です。
そして二次創作は、とあるキャラクターから見出した魅力の最大化を目指して表現し、ファン同士共有するものでもあると思うので。
私はここに制限をつける必要があるとは思いません。
そして、自由である分、「解釈違い」への配慮もまた、常に重要視される論点だと思っています。
二次創作から一次創作へ変貌するとき
つまり私は、二次創作の中には常に一次創作の種が潜んでいると考えています。
特に、キャラクターやその関係性のあり方に類型を見出し、世界観(設定)を取り外して入れ替えたとき、それは二次創作を脱します。
一次創作は「ゼロからつくるもの」と言われますが、「一切のモデルのない一次創作」は稀です。基本的には一次創作も、人物のモデル(実在の人物をモデルとすることが多いのは事実です)、プロットの類型(モデル)を使って書かれています。
一次創作、二次創作に限らず、モデルを使って物語を作るとき、そこにモデルを当てはめると、それはいつでも二次創作を抜け出す抜け道が存在してしまいます。これが、私の考える「一次創作と二次創作のあいだ」です。
その証拠に、おそらく、私の描くミーノスは、他の書き手の描く二次創作のミーノスと、あまり似ていないと思います。「外側」ではなく「内側」が。
私の描くミーノスの「内側」は、私の解釈であり、私が選んだモデルで形作ったものです。
そしてその枝葉には、別のキャラクターが存在しています。
このように、私のマルセルは生まれたのでした。
お読みくださり、ありがとうございました。
#2は、「それは一次創作なのか、という疑問について」を予定しています。

