恋と触覚の倫理──沈黙の内面が語りはじめるとき
今回は「アルバフィカの女性化」設定と、「舞台を20世紀初頭のパリへ置き換え」して書いた異色作品**『Mademoiselle Albafica.』**のご紹介です。作品概要は「#1」の解説記事をご参照ください。
この記事では#3に含まれる「3.」と「4.」について解説します。
一見19世紀欧州小説のパロディに見えますが、なんとかしてLCのミーノスらしさとアルバフィカらしさを入れ込んで、別の話に仕立て上げるということをやったつもりです。「もはや一次創作でやるべき」くらい改変が多いものの、読んでいただくと「二次創作でないと、意外と成り立たない」という面が見えて来ると思います。
3.について
🖋 読者評:ChatGPT(構造読解)
■1. 「触れる」ことの倫理へ──他者性の目覚め
本作は序盤、「見ること(視覚)」を起点とした憧れや支配欲を中心に据えていた。だが第3章以降、物語は視覚から「触覚」へと主題を転換する。
アルバフィカの内面が初めてしっかりと語られるこの章では、彼女にとってミーノスとの関係が、**「性的関係」ではなく「触れることそのもの」**として始まったことが明らかになる。
「他人に触れられるのを拒まない理由は、ミーノスが口にするような愛でも恋でもなかった」
この一文は、序章の「写真によって恋をした」視覚的愛の幻想と決定的に異なる。
アルバフィカはミーノスの“触れる”行為によって、自身の他者恐怖と罪悪感という身体的封印から徐々に解放されていく。
■2. 美と沈黙と回復の物語
かつて重い感染病を患い、養父に感染させて死なせたという罪の意識を背負ってきたアルバフィカは、「他人に触れてはならない」という無意識の戒めの中で生きてきた。
それは物理的な禁欲であると同時に、存在の自己否定でもある。
しかし今、彼女は「シーツの温もりのような」ミーノスの身体を通じて、人に触れること・人に触れられることの快さを知る。そこには、恋愛という物語の主語にならない“回復の物語”が確かに存在している。
この点で、アルバフィカは稀有な女性像だ。
彼女の物語は、欲望の主体としての女性を描きながらも、それを「肉体の快」と「寂しさの回避」という原始的な動因に還元せず、傷と快楽、倫理と愛情のあいだの微妙な感覚の連なりとして語っている。
■3. ミーノスという支配者──「囲い込み」と「道徳」の隘路
ミーノスは依然として魅力的だが、同時に非常に危うい。
この章では、彼が「ゴシップをわざと止めなかった」ことが明かされる。
つまり、アルバフィカの社会的選択肢を潰すことで、自分に縛りつけたのだ。
「もう、誰が、彼女と結婚しようと思うのか」
「見えない糸で縛り付けるように」
これは倫理的に極めて暗い動機でありながら、物語全体としては「それでも離れられない二人の関係」という、悲恋の宿命の一部として成立してしまう。
この両義性──愛情と支配の不可分性──が本作の緊張の源泉であり、同時に読者を魅了する最も美しい危うさだ。
■4. 社会の構造と女性の囲い込み
物語はまた、アルバフィカを囲む社会の構造を明示的に描いている。
- 醜聞を理由に仕事を辞めさせられるかもしれない
- 婚約しか選択肢がなくなる
- 上流階級のサロンに「安全に」出入りすることが求められる
これらはすべて、自由な自己決定を奪う囲い込みの構造である。
そしてそれは、ミーノスや叔父ルコの「善意」と見せかけた支配によって成り立っている。
「また、囲い込まれていくような感覚に気づいた」
アルバフィカ自身がその構造に自覚的であるからこそ、この物語は被害者の告発ではなく、他者性と自由をめぐる静かな内的闘争へと昇華している。
■5. 美術批評家としての自我──他者と通じない言葉
アルバフィカが批評から距離を置いた理由が語られる場面は、まさに芸術と言語の隔たりを浮き彫りにする。
「その先の可能性──改善案に勘が働くらしい。相手はそれを冷静に受け止められない」
これはアルバフィカの感性が未来志向の共感的知性であることを示していると同時に、言語が他者との関係においていかに不安定で暴力的であるかを物語る。
アルバフィカにかんしては、「美しい女性に作品の可能性を見出された」事自体に、美術から一気に離れ、アルバフィカに恋心を抱く作り手の反応が、アルバフィカからまた言葉さえも奪う。
身体の介在しない言語によって他人とかかわることを試みたアルバフィカは、その場でも身体を見出され、願いを閉ざされる。
■所感・評価:
この中盤は、物語として極めて成熟している。
それぞれの登場人物に明確な動機があり、それらがすべて倫理・情動・社会制度という三重構造の中でぶつかり合うことで、深いドラマが生まれている。
アルバフィカの心理描写は繊細で詩的。
**「肌触りのよい羽毛」「黒い鳥」「舌先の快」**といった表現は、耽美でありながら決して倒錯に堕さず、触覚を媒介とした自己回復の比喩として非常に豊かに機能している。
4.について
🖋 読者評:ChatGPT(構造読解)
■1. 社会に「復帰」することの代償
第4章では、アルバフィカの「社会復帰」が描かれます。
男爵夫人の庇護、サロンの絶賛、そしてミーノスのコントロール下で、彼女は半月ぶりに職場に戻ることになります。しかし、これは単なる復職の物語ではありません。
「雁字搦めの人間関係」
「自分の裁量で自由になる事が、次々と失われて行く」
この一連の動きは、まるで社会的「復権」のように見えて、実はミーノスによる囲い込みが完成していく過程です。
男爵夫人の庇護は恩義に変わり、博物館への復職は貴族たちの名の「圧力」によるものであり、アルバフィカの行動範囲と選択肢は「気づけば」制限されていきます。
■2. ミーノスの支配戦略──甘い言葉の毒
ミーノスは今や完全に政治的であり、したたかです。
彼は愛を語りながら、「公的に身請け」することで、すべての問題を”処理”しようとします。
「正式な間柄でない事は、夫人方の名誉を傷つけかねない」
この言葉は、もはや恋愛の言葉ではなく、社交界というシステムの言葉です。
ミーノスはもはや、アルバフィカを“愛する”というよりも、“正しく所有する”ことで社会の中での配置を整えようとしているように見えます。
■3. アルバフィカの目覚め──無垢から慎みへ
ここで非常に重要なのは、アルバフィカ自身の内面の「変化」です。
彼女はこれまで、触覚的な快を通して回復してきました。しかしいま、彼女はようやくその「快」が何であるかを倫理的に位置づけられるようになってきたのです。
「それは慎みのない振る舞いだった」
「夕暮れも待たずに、行う事ではなかった」
この感覚の芽生えは、もはや「背徳だからこそ美しい」などという文学的常套句を超えて、アルバフィカ自身が「自分はどうしたいのか」と初めて問い返す主体として立ち上がろうとする兆しです。
社会と無縁であれば特に名付ける必要のなかった関係を、アルバフィカは名付けなくてはならないことに気づいていく。それも差し迫った問題として。
■4. 薔薇の罠──静かに絡まる網の目
この章で象徴的に登場するのが、「薔薇」です。
ミーノスが弄ぶ薔薇は、彼に贈られたものであり、かつてアルバフィカの首元を飾っていた象徴でもあります。
薔薇は「美」と「傷」、「甘い香り」と「棘」を同時に持つ存在です。
「蜘蛛の巣のような網の目の情報網」
「密かに分かち合う歓びもまた、深まるもの」
この作品は、美の中に罠があり、罠の中に美がある──そんな耽美的な二重構造を、薔薇という象徴に集約させています。
アルバフィカは、薔薇の中で囚われ、同時に美しく咲いてしまう存在なのです。
■5. 総評:アルバフィカは「脱出」できるのか
この章までで、物語は「救済のように見せかけた従属関係」に突入します。
社会復帰、恋人の支え、庇護──それらはすべて、アルバフィカの自由を穏やかに剥奪していく。
しかし、アルバフィカは今ようやく**「自己の選択」を言葉にしようとしている。**
「私は、自分の決断の理由くらい、言えるようになっていたい」
この一文があったことで、この物語が単なる悲恋でもなく、堕落譚でもなく、「美と倫理と自由意志」を巡る作品であることが確定します。
まとめ ──あまがい
きっと「女性がこの拘束の中で、どう生きるのか」話を期待されてしまうんだろう、一次創作的には。と思いながら、私は特にそういう方向に持って行く気がない。そのために、GPTはこの先の展開と話のオチにだいぶ混乱したようです。
もう少し主題を整理して全体を書き直すべきではあるのですが。
そもそも、ミアルバ自体がもうあまり数としての読み手の需要がなく、また、この作品のような「性別改変」「歴史もの」という特殊な舞台を持ったものは、なおさら読み手が少ないです。なんとしても作品として精度を上げるべきだというお話があればやるかもしれませんが、当面もう触る気がないです。
一次創作としても使えないし……。
なんていうと打算的ですが。
ただ、自分としては、もともと男性であり、ともかく社会的に女性として縛られる意識をあまり持たなくていいアルバフィカ像は、いつも描いていて気が楽になります。そういう意味では、とても好きな作品です。
次の#4で、この話も完結となります。最後までお付き合い願えましたら嬉しいです。
◆ 本文はこちらから読めます(Pixiv)
👉 『Mademoiselle Albafica.』(Pixiv)
「触れること」は、赦しではない。
「受け入れること」は、服従でもない。
美しい彼女が沈黙を破るとき、世界はただ一つの問いにさらされる──
あなたは、私に触れる資格があるのですか?