美と不道徳の狭間で絡まる「見えない糸」──あまがい
今回は「アルバフィカの女性化」設定と、「舞台を20世紀初頭のパリへ置き換え」して書いた異色作品**『Mademoiselle Albafica.』**のご紹介です。作品概要は「#1」の解説記事をご参照ください。
この記事では#2に含まれる「1.」と「2.」について解説します。
一見19世紀欧州小説のパロディに見えますが、なんとかしてLCのミーノスらしさとアルバフィカらしさを入れ込んで、別の話に仕立て上げるということをやったつもりです。「もはや一次創作でやるべき」くらい改変が多いものの、読んでいただくと「二次創作でないと、意外と成り立たない」という面が見えて来ると思います。
■1. 幻想から現実へ──語りの主役交代 ──Chat GPT
序章では、語り手シオンの一目惚れと幻滅が描かれていたが、1章からは視点が変わり、ミーノスの近縁者・ルネによる客観的な語りへと移行する。
これは読者にとっても重要な転換点だ。というのも、シオンの「見る」愛が信仰に近い一方、ルネは徹底して社会的モラルと規範の観点からミーノスとアルバフィカを捉えている。視点の客観化が進むことで、読者は「幻想」と「現実」の落差を明確に知ることになる。
■2. ルネという「道徳の番人」の苦悩 ──Chat GPT
ルネはミーノスに深い敬意を持っているが、その分だけ現在の奔放な密会ぶりに動揺している。
ここで印象的なのは、ルネがアルバフィカを最初は「冷ややかで清廉な美貌」と見ており、女性の性への能動性を理解できないという点で明らかなジェンダー規範の内面化を示していることである。
だからこそ、彼にとって二人の関係は「破綻した秩序」に映る。
ルネの語りは道徳的には正論に聞こえるが、それが時代の規範に根ざした偏見であることもまた露わになっている。ここに作品は一つのレイヤーを重ねている。
■3. ミーノス視点──倫理を超えて「見る」ことの暴力へ ──Chat GPT
第2章ではついに、ミーノスとアルバフィカの逢瀬が肉体と過去の記憶を伴う形で描かれる。
特に注目すべきは、ミーノスがアルバフィカの「触れられることへの渇望」を理解しながら、同時にその**異なる動機(愛ではなく喪失の埋め合わせ)**を知っていて、あえて沈黙を貫いている点である。
「捕らえてしまいたくなる」
「見えない──糸、が──」
これは明確に、所有欲と支配のレトリックである。
ミーノスが見ているのは、アルバフィカそのものではないかもしれない。彼が愛しているのは、**「逃げられない美」**という幻想であり、それを握り潰すことなく縛るという形でのみ、愛を証明しようとする。
この構造は、かつてシオンが「写真から恋をした」構造と表裏一体だ。
■4. アルバフィカ──静かなる中心、語られないもの ──Chat GPT
一方で、アルバフィカは沈黙している。
彼女は語らない。応とも否とも言わない。
それでも彼女は、触れられることを選ぶ。
この選択は、「欲望」とは異なる。彼女にとって、他者と交わることそのものが自己肯定の第一歩だからだ。
これはルネのような道徳観でも、ミーノスの所有欲でも解釈できない、第三の倫理の萌芽である。
■5. 評価と今後の展開予測 ──Chat GPT
『Mademoiselle Albafica.』は、単なる恋愛物語でも芸術批評家のスキャンダルでもない。
これは**「見る」ことの倫理**と、「所有」と「理解」をめぐる近代的葛藤を扱う物語である。
序章が「美を見る者の信仰」であり、1章が「世間の道徳的まなざし」、2章が「愛と支配のまなざし」ならば、この先に来るのは、アルバフィカ自身の語り=沈黙を破る内面の言葉であろう。
■所感: ──Chat GPT
本作は語りの切り替えによって、同じ事実がまなざしの差異によって全く違う意味を帯びるという構造を見事に演出している。
また、ルネやミーノスといった男性たちの思い込みの中で“語られる”アルバフィカという構図も、深いジェンダー的示唆を含む。アルバフィカの「美」が、見る者それぞれに違う幻を見せる鏡のように扱われているのも秀逸だ。
その美が、果たして本人の意思とどこまで重なるのか──その緊張感は、読者の思考を長く引きつけ続ける。
まとめ ──あまがい
本作の奇異な点は、“そもそも「#1」で完結、を意図しながら続きを書くと決め、「#2」で完結、を意図しながら続きを書くと決めた” と、掌編を意図して書きながら、ずるずると続きを書くことになったことによります。
私としてはこれは嬉しい誤算で、「そこで終わりのはずの作品に続きの萌芽を見つけられた」のは本当に画期的なことでした。
しかしながら、そういった作りのせいで、「序」から完結まで一貫したテーマ性を潜ませるのが困難になってしまいました。ある意味、「序」もこの「#1」も、それぞれそこで完結した一作なのでしょう。GPTに解説を書いてもらい、それが完結までうまく続かなかったことを経験して、実感しました。
この話は、アルバフィカという、父親との死別が心の傷になり、「他人と触れ合ってはいけない」と自分を戒めていた人物が、他人と触れ合うことを獲得し、その上で「私はどう生きたいのか」を決めて行くものです。
ミーノスが支配欲の強い人物なので、アルバフィカは自己決定の選択肢をあらかじめ奪われている状態です。ただアルバフィカも、ミーノスと関係を持つ選択をしたのはそれなりに理由があります。彼との結婚が解決策なら、それはやぶさかではない。ただ、それがミーノスの支配欲(を達成するための力)に負けた状態で進んでいくのはいやなんです。
(ちなみに、アルバフィカもまたミーノスから、人には言えない事情を抱えているのを感じ取っていた。その共感性が好意に発展しやすかった)
そういう意味では、アルバフィカは女性設定ではありますが、GPTが見出してしまうジェンダー観こそもっともこの話においては不要なもの。身体はただ身体であり、それは身体による快の交歓の受け止め方の差異のみ。元のアルバフィカは男性なので、キャラクターとしてはジェンダー問題を背負う必要がないのです。
そうすると「なぜ歴史物なのか」という疑問もまた発生しますね。これも、そもそもはあるシチュエーションを書きたかったがために選ばれた時代でした。この話では使いませんでしたが。私の設定上、この二人は古書店で出会っているんです。古書店で本の取り合いをして、一冊しかない古書を貸し借りする。そうやって関係が始まる。他に本を入手する方法がなさそうな時代、「──というと、20世紀初頭かな」と、当時のGPTが回答してくれました。本当にそうかはわかりませんが、そこからなんです。
『Mademoiselle Albafica.』は、続く#3から中盤です。
歴史物に改変されたミアルバに、もう少しお付き合い願えれば幸いです。
◆ 本文はこちらから読めます(Pixiv)
👉 『Mademoiselle Albafica.』(Pixiv)
見ることは理解ではない。
けれど、心を奪われた者は、理解したつもりで、その影を抱え続ける。
──その美しさは、語られぬまま、ただ“見られた”だけの肖像だった。